2012/02/02

Bianchiの話(その2)

意図的にBianchiについて「藤原ヱンジニヤリング」で書くことは避けてきました。とか言いつつ、書きだすと止まらないのはBianchi愛の深さを(ry


今回はフレーム制作について書こうと思います。

これを書いても良いかな?と思ったのは自転車雑誌に「MASI(マージ)」がコッピやメルクスの自転車を作っていたという記事が載っていたからです。MASIといえば仕立屋、40年代~70年代くらいまでトッププロのバイクを数多く制作していた工房です。ちなみに、巷に溢れかえっているMASIは名前が同じだけのライセンス生産品です。本物は今でもイタリアまで行くか、殿村さんを経由すれば日本でもオーダー出来るハズ。少なくとも4年くらい前まではそうだったと記憶しています。

まず、コッピの話から書いて行きましょう。

ファウスト・コッピは「カンピニッシモ」として知られる伝説のイタリア人レーサーです。1949年に始めてダブルツールを達成した選手でもあり、その時にBianchiチームに所属していました。1952年には2度目のダブルツールも達成。もちろん、2回ともバイクはBianchi。ちなみに、最後にダブルツールが達成されたのは1998年のマルコ・パンターニの時なので、今現在最初のダブルツールと最後のダブルツールはBianchiの自転車が…というWikipediaにある記述も僕が書いたものだ(苦笑)。正直なところ、サイクルヨーロッパジャパンで僕をBianchiの広報に雇って欲しい
(;^ω^)

この1949,1952,1998という3つの数字はBianchiファンを自称するなら空で言えるようにしておかないといけないでしょう。「928」というモデルネームは下1桁を抜き出した物です。

ここまで書けばカンの良い人は気がつくでしょう。

多分、1949年と1952年にコッピが使った自転車はBianchiの工場では作られておらず、MASI製だと言われています。

日本ではあまり知られていないのですが、コッピは幼い頃くる病を患ったらしく、左右で脚の長さが違うなど、身体障がいがあったようです。細い(歩くのもやっとの)コッピが自転車に乗ると飛ぶように山を上がっていくという記述が多いのもこれが事実だからでしょう。実際に彼が使ったという自転車を見た事がある人に聞いた所、左右でクランク長が1cmくらい違ったそうです。さらに興味深い事に、その人が数年後同じバイクを計測したら左右のクランク長が同じになっていて、「伝説のチャンピオンだから、隠そうとしたのかもしれないねぇ」と言っていました。

「カンピニッシモ」チャンピオンの中のチャンピオンと呼ばれ、今や神格化されているためこういった情報は表に出ないのでしょうが、こういったハンデを抱えていたコッピにとって、仕立屋マージは心強い味方だったのではないでしょうか?

当時は、トッププロは自分の気に入った工房に作らせたフレームをスポンサーのカラーに塗って、スポンサーのバイクに偽装して使う事は普通だったと聞いています。

俺もMASIをチェレステに塗りたくりたくなってきました(;^ω^)

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